しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

自分でも訳の分からない恐怖で先延ばししてしまうあなたに

昔から、未来の困難を過大評価し、その不安に耐えられず、先延ばしにしてしまうことでQOLを著しく下げてきた。些細な事象を恐れ、先延ばしにすると何が起こるのか。予言の自己成就的に、取るに足らない懸念が本物の怪物になって、然るべきときに爆発するのである。

 

そもそも、不安体験とは、理性と本能の間の認知的不協和を解消しようとする化学反応だ。言うまでもなく、適量の不安は、張り合いのある人生には必須である。

 

しかし、様々な情報が氾濫する現代、たくさんインプットをすることで、不安を体験することをも先延ばしにできるようになってしまった。世の中にコンテンツが溢れ、身体を動かさずとも回避先が見つかる。加えて、日常の速度も上がり、一つの不安に没頭する時空が失われつつある。たった小一時間、自らの不安と向き合うことさえ許されないほどに、我々はデジタルデバイスの奴隷だ。

 

もちろん、全ての逃避を否定するわけではない。逃げる勇気も時には必要だ。しかし、もし今感じている恐怖が不合理だと自覚しているのならば、認知の歪みを克服したいのならば、思慮すべきは、どう逃げるかではなく、どう向き合うかだ。

 

これは心理学の専門的な話になるが、不安症の暴露療法中の「気晴らし」は、多くの場合逆効果とされている。不安を乗り越えると決断したのなら、回避や逃避は、大元の恐怖を強化するだけなので、可能な限り止めなければならない。一番の薬である、「困難に打ち克ったという主体的感覚」が欠如したままでは、対症療法にしかならないということだ。

 

それでは、具体的に、どうやって不安と向き合えばよいのか。最近試してみて効果的だった方略がある。ずばり、「不安なときは、あえて思いきり不安になろうとする」。ネガティブな感情を受け入れようとするから、かえって逃避してしまう。だから、受動によって生まれた感情を能動的に作り変えるのだ。恐怖を獲得していくという、一見奇妙な認知のパラダイムシフトによって、主体的感覚や自己効力感を取り戻すことができる。

 

もちろん、逃避癖のある我々にとってハードルが高いのは百も承知だ。しかし、一般に、人間が不安感情を維持できるのは、30分〜60分と言われている。重篤パニック障害の患者でも、発作は長くて1時間半で収まるという。言い換えれば、我々は、突発的な不合理な認知を、理性によって調律するのに、この位かかるということ。誤解を恐れずに言うと、回避行動さえしなければ、「この程度で済む」のだ。

 

不安から逃避すると雪だるま式にストレスが増幅していくのと同様に、一度不安に打ち克った自信は未来の不安を漸減する勇気を与える。今日は頑張れそうと思える日があったら、YoutubeTwitterInstagramで反芻思考を塗りつぶすのではなく、積極的に不安を味わい没頭してみよう。もしあなたが病的な不安障害でないのなら、この方略は、ストレスフルな現代を乗りこなす一助になるかもしれない。是非お試しあれ。