しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

今日の散文 #2

1.

きれいなものを食べれば、きれいになれると思っていました。だから、わたしはいつもきれいなものを積極的に食べました。5円チョコ、ティラミス、ミルクセーキ、カラメル、エンゼルフレンチ、あまおう。いつでも甘さは、きれいです。砂糖は、わたしを裏切ることはありません。毎日、正しく整理されて、一粒一粒が溶けて絡まり、細胞を愛してくれます。真っ白な、純潔に穢れのない愛は、すべてのきれいさを上回り、わたしを恍惚とさせます。夕立にざらめが降りました。舌を転がし、きれいなものをしっかりと受け止めます。必要とあらば、白と心中する覚悟です。であるからして、人知れず海に溺れた塩は醜く、生き物の善悪は食べてみるとわかります。甘ければ善、しょっぱければ悪です。もちろん、ほとんどすべての物の味はグラデーションですし、二元論で物事を捉えすぎるのはバカです。しかし、一般的に、しょっぱければしょっぱいほど、その生き物は醜く愚かだという傾向があると知られているのだけは、確かなことです。

 

2.

ひりつくような緊張感に耐えきれず、誰もいない部屋を飛び出した。空白には悪魔が住む。昔の日本人は、それを神様だとありがたがって、神社だかなんだかを建てて祀ったらしいが、なんと馬鹿げたことか。あの背筋が凍るような空白は、気まぐれさなど寸分もなく、ただただ厳格に、わたしを不快にさせるという規則だけを存在意義とした、悪性の魔物の仕業である。その悪魔には副業もあって、実は彼らは、人間の観測外でホコリを積もらせたり、ピカピカの透明なプラスチックをくすませたり、押し入れにしまったレトロゲームを勝手に進めたりしている。そういうふうに、人間のいないところで、悪魔はしょうもないいたずらを日々繰り返す。だから、大切なものを家の中でよく紛失したり、目を離すとすぐなくなるwiiのリモコンの電池などに心当たりがある人の家では、悪魔が活発に動いているということになる。つまり、期せずして空白に飛び込んだときの不快感は、悪魔の活動中に鉢合わせてしまったお互いの気まずさなのである。空き巣とやっていることは同じなのだが、奴らはお茶を濁す逃げ方を心得ていて、そろりそろりと、背中を見せず、後退りして、すっと消える。逃さず退治するには、自分の行動すべてを監視カメラで撮っておき事象を確定させること、悪魔に憑かれる前に大きな声を出せるようにボイストレーニングをすること、塩を撒くこと、毎日掃除をすること。結局のところ、繰り返される変わり映えのない日常が、一番効果的である。