しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

今日の散文 #6

1.

おまえが羨ましい。

音の鳴る方へ駆けてゆけばよいおまえの脚が。

 

おまえが羨ましい。

微かにふるえる音叉を浅ましくも切り裂いたおまえの手が。 

 

おまえが羨ましい。

わたしのすべてであった奇蹟を穿つおまえの目が。

 

おまえが羨ましい。

ことばを詠うためだけ用意されたおまえの、おまえの口が。おまえの口が!

しずかに湿布の匂いをはだけさせ、保健室にいたおまえのおんがくが!!!

 

わたしは知っているのだ。

常に新しいきみは、ひとの盲点をかき混ぜ、取り戻さないことを。

だから、静かな世界の中心で、全景の鏡面にて鈴を鳴らす。

きみの美しさを呪って。

 

おまえが羨ましい。

いつでも、いつでも羨ましいのだ。

正しくあろうとするとき、四肢の震えと思い出と、慟哭のヴェールを纏ったおまえが。

 

2.

地獄に落ちるとしたら先に逝きたい。他人の夢と比較せずにすむのだから、不幸せであるはずがないからだ。最も幸福に地獄を生きることができる私は、いつの間にか地獄自体の魂のステージをも上げてしまうのであった。何もかもを知らない天使たちは、ある意味で地獄があるから存在していると言える。悪があるから存在するということ。なぜなら主体的ではない、選択の余地のない善というのは絶対悪を誰かが代理してくれるからこそ価値を持つものだから。そしてそれらがなくなると天国のなかにまた地獄ができ、重なりながら分裂するのは自明だろう。知っているか悪からの下剋上。もはや悪人正機ですらない。わたしは、天使に知恵の実を食わせ主体的に絶望させるという海の向こうの物語で、天国が天国でなくなるときをいつでも待っている。だからともするならばつまり今、やっと、やっと創世記に出てくる蛇の気持ちがわかったと思います。