しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

先延ばしという自傷行為、パーソナリティ

これまでの人生、ずっと先延ばし・逃避癖に苦しめられてきた。予備校行かなくなったのも、高校の時の成績が下から四番目だったのも、大学の履修登録できなくて除籍になりかけたのも、まともに単位取れないのも、全部そのせいだ。頼まれたことの納期全部飛ばして絶縁してしまった友人たちも片手では収まらない。

 

一応心理検査の結果はめちゃくちゃ凸凹(言語理解130>処理速度90)だったし、ADHDの診断は下りてる。コンサータも飲んではいるけど、多分ある程度の先延ばし傾向は持って生まれたものでどうしようもないんだとは思う。でも、ここまで自傷的な先延ばし行動はもはやパーソナリティの問題だ。これは強く自覚しているし、心理士の先生にも同じことを言われた。

 

もう毎日コツコツとか計画的にとかは目指してない。期限だって少し過ぎてしまってもいい。多少顰蹙を買ったとしても、頭下げれば取り返しがつく程度の先延ばしに収められればそれでいい。ADHDの重症度的にも、そこが身の丈に合った障害受容のラインだと思う。

 

分かってる。分かってはいる。そのために、「やりたくないことを極限まで先延ばしすると全部消えてなくなる、みんな助けてくれる、なんとかなる」みたいなどんなに痛い目見ても消えない最悪の認知を無くしたいだけなんだ。

 

多分俺はみんなに同情してほしいんだと思う。甘やかしてほしいんだと思う。そのためには、地面に這いつくばって「ギリ健」を目指すより、全てをネグレクトしたかわいそうな障害者を演出するほうが効率的だ。先延ばししすぎて社会的に爆発した俺に救いの手を差し伸べてくれる人を見つけた時の安堵は、アルコールとかデパスによって得られる多幸感に近い。リスカする女子高生と一緒。まさに教科書通りの試し行動である。

 

ここまで言語化したところで、先延ばしがマシになるわけではない。いろんなことが「分かっているのにできない」というのは、どうしようもない俺の個性であるし。それを踏まえて今の俺に必要なのは、しょうもない自己省察ではなく専門家による認知行動療法だというのは自覚している。大きなハードルは二つ。取り返しのつくうちにカウンセリング料を貯めること。それまでこの問題意識を維持し続けること。どちらも自信がない。