しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

カルチュラルスタディーズ

  1. FNNプライム(フジテレビ系)の「しらべてみたら」というコーナー、特にユーチューブチャンネル、がおぞましい。実際に見ればわかるが、マギング的な"軽犯罪"報道をしまくるコーナーである。しかし、マギング報道と大きく違う点がある。それは、報道量の重み付けがユーチューブのアルゴリズム+大衆の集合意識で決まるところだ。一部の啓蒙的な人間が物語を紡げない時代になりつつある。テクノロジーが思想になる。メディアではなく、機械が紡ぐマギング。仮にそれを人間がコントロールしようとするならば、GAFAの人間がアルゴリズムをいじるということになるのだろうが、それではPSYCHO-PASSのテクノロジー信仰の影に潜む官僚制ということになる。

  2. 誰しもが自分の中でヤンキー性を持っていて、だからこそ「社会見学的に(悪い意味で)」朝倉未来やヒカルchやガーシーch、瓜田純士や深田えいみchを見る大卒レベルの文化資本を持つ人もいる。アルゴリズムに選び取られた勝者による、恣意的な「ヤンキー表象」。朝倉未来を見ていると、怖くて近づけないヤンキーについて「わかった気になれる」。インフルエンサーを媒介に属性を理解することに慣れすぎた知識層は、アルゴリズムの奴隷であり、人文系が滅びるのも納得である。本を読む暇があったら小学校の同窓会に行くべき。

  3. 非行少女のキャラクターが多様化した。水商売をする女性も、ぴえん系とパパ活系ファッションに分かれる。特にぴえん系ファッションは、精神障害者の表象を自発的に纏うことで、狂気というスティグマを捨象し「メンヘラ」と「かわいい」再結合するという、急進的な恐ろしさがある。メンタルクリニックに通うことは、彼女たちにとってはステータスであり、ファッションとしてのオーバードーズがある。トー横にはブロンの空き瓶が転がる。 

 

あとがき

スマホを捨てよ、友達とゲームをしよう。

ゲームを捨てよ、家族とテレビを見よう。

テレビを捨てよ、本屋で書を買おう。

書を捨てよ、町へ出よう