しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

作業興奮神話の限界

先延ばし癖改善のためのライフハックとして必ずと言っていいほど挙げられるのが「とにかく手を着けろ!!」である。人間の脳の特性として、"作業興奮"というのがあるから、「グズグズ考え込む前に手を動かせ!始めさえすれば意外に長時間集中することは容易いぞ!」という寸法である。尤もその「とにかく手を着けろ!!」がなかなか上手くいかないものだが‥‥

しかし、それ以上に厄介で、留意しておかなくてはならないことがある。それは、仮に手を動かし始めても、複雑で難しいタスクでは、しばしば"作業興奮"とやらが発動しない場合があるということだ。

 

人間が自発的に何かに取り組み続けるときの動機は2種類ある。

1つ目が、取り組みの帰結として得られる報酬。例えば、歌ってみたの投稿したら色んな人が見てくれる嬉しさとか。必ずしも他者が介在せずともよくて、たくさん歌の練習して歌がうまくなった達成感もこの場合の報酬になりうる。

2つ目が、取り組むこと自体の楽しみや没頭感である。例えば、素人の採点なしひとりカラオケは、オーディエンスの反応も自己研磨も想定しておらず、まさに「没頭のための」歌唱だ。

そして、実際の人間心理では、この2つがグラデーション的に混ざり合って動機を形成している。

 

作業興奮は、後者の動機(楽しさ・没頭感)を持てる対象については適切に機能する。むしろ、単純作業や手や体を使う、脳にあまり負荷のない作業では、逆に働きすぎて悪影響を引き起こすこともある。タイピングゲームとか。

一方で、前者のようにプロセスではなく結果に着目する場合、成果が出ずタスクの前進感がない状況では作業興奮が発生しづらい。やっていて面白くない上に成果も出ないのだから、当然である。脳をフルに使う複雑で成果の出にくいタスクは、巷で氾濫している作業興奮という概念、とりあえず手を着ければやる気出てくる!は通用しない。

 

では、どうすればいいのか。

具体的には、単純作業系である英単語の暗記や、体を動かすジョギングなどは、作業興奮を上手く使えるタスクなので積極的に活用すべきだ。

しかし、数学の難問や、外国語の文章、難解な哲学書などは、手を着けただけではやる気は出てこない。でも、そもそも作業興奮の対象外のタスクなのだから、この方法論自体を否定する必要はない。ただ、別の方法論(これについては後日書きたい)を活用すべきというだけの話だ。

大切なのは、作業興奮の特性を正しく理解し、過度な期待も失望も捨てることである。

ネットのアフィブログの"作業興奮神話"に振り回されずに生きていこう。