しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

体系を手に入れるために体系を捨てる

俺の人生の課題は,無秩序なものを,如何にして己のありのままとして受け入れるかなんだと思う。部屋が汚くても作業はできる。デスクトップが汚くても作業はできる。そういえば,データサイエンスの課題を先延ばしにしていたのも,保存先のフォルダ構築がうまくいかなかったからだ。別にどこのファイルに課題を保存しても見返しもしないんだから関係ないのに。そういう「体系的な,整理されたものに対する憧れ」みたいのがいつも邪魔をする。

丸暗記ができない。なぜなら,本質的ではないから。抽象的なものだけが真実であり,俺が一般人を出し抜くためにはそれしかなくて,だからこそ無意味なものにも関連性を生み出しカオスによって自爆する。

東大王が嫌いだ。なぜなら,彼らは体系を見出す楽しさを知っているはずなのに,インスタントな教養として無秩序な具体例の解を読み解くパフォーマンスで金を稼いでいる。自分よりも体系だった脳みそを持っている人が心底羨ましい。特定個人ではなく,概念として。

でも,結局のところ,凡人である俺は,寿司屋で皿洗いした後でないと正しい体系を身に着けることができない。分かっている,しょうもない具体を積み重ねた先にしか体系の快楽はない。整理されたものへの憧れを捨てることこそが,体系への最短距離になる。

急がば回れ

まあ,仮に完全な体系に近づけたとして,その時俺は体系の限界を骨の髄まで理解し,諦念ゆえの人生を味わい,己の個性/多様性として,アイデンティティとして分類を楽しむようになるだろう。

そんなこんなで,世の中のすべてに系統樹を引けるよう,今日も今日の俺にとっての無意味をやる。混沌を受け入れるための通過儀礼を。