しなやかな貴金属

淀みのrhythmからなる雪隠

雑記: あるある動画はメタバースのパロディ

 

 

 

若者向けのSNSで、リアリティ志向のモノマネ動画が流行っている。それも、ただのモノマネではない。「〜な先生あるある」「〜な友達あるある」などのあるある動画である。つまり、メタバースのパロディ。皆が多様な人格を演じることに疲れていて、しかしそれから逃れられないことも分かっている。そういうなかで「うまくやれるやつ」は羨望され、インフルエンサーになる。PSYCHO-PASSに登場するインターネットアバター乗っ取り魔御堂将剛は、最終的に「どんな顔にもなれる、逆説的に何者でもない自分」に発狂したが、奇妙なことに、あるある動画クリエイターは現代の労働者の夢である。

 

なぜか。御堂将剛との違いは、個人(イチローひろゆき)ではなくて概念(先生、友達)をモノマネしていることだ。概念をモノマネしたほうが、パロディ的でユーモアな視座を保ちやすく、だからこそコメディとして機能する。ニッチローやひろゆかないの個人の真似に固執するスタイルは、他人の人生で食ってる感が強すぎて、ありのままで個性的なアイデンティティを求める若い世代でのプレイヤーは少ない。職人芸より、ワイルドカードとしての芸術点が個性を表現する世界。つまり、あるある動画クリエイターは、「このクソッタレなメタバースな日常を高度に乗りこなせる自分」をパロディにすることで自由を取り戻そうとしているのである。

 

PSYCHO-PASSが予期できなかったことは2つある。1、メタバースな現代、誰もが御堂将剛を目指すことを強いられるクソゲーをひっくり返すために、それ自体をパロディするというのは有用な手段であること。2、高度にキャラを演じることのできる人間は上位5%であり、『「どんな顔にもなれる、逆説的に何者でもない自分」を上手くやれる自分』というのは、「歌がうまい」「勉強ができる」「運動神経抜群」と同じように、それなりのアイデンティティとして機能しうるということ。

 

結論としては、御堂将剛→あるある動画クリエイターは虚しいけどまあまあ頑張ってるやつで、それよりも「御堂将剛ワナビ」がいすぎてヤバくね?って話。人生終わってるどころの話じゃないよね。

 

追記:

御堂将剛についてもっと知りたい人はこちら

ameblo.jp

ていうかPSYCHO-PASS見ろ。

 

追記2:

現代の御堂将剛(意欲のあるつまらない人)

note.com

 

追記3:

あるある動画クリエイターと本物のメタバースの邂逅
f:id:mizumoya:20220610153920j:image